TOPTalk : 対談

小高嘉照さんコロナ禍を語る 前編

◇小高嘉照(こだかよしてる)さんプロフィール
陶芸家「与游窯(よゆうがま)」主宰
ギャラリー喫茶「なよたけ」オーナー
Meets Art club所属
1945年 神奈川県生まれ、蠍座
2019年 Meets Galleryなどで個展開催
「花まつり」等のグループ展にも参加
趣味はコーヒーカップ収集、競馬
https://www.facebook.com/yositeru.kodaka

 

小高嘉照さんコロナ禍の生活を語る

 

月刊宮島永太良通信編集部(以後Q):今では多くの人々が忘れ去った感のある2020年から2023年のコロナ禍での生活を小高さんお尋ねします。2020年4月には政府から緊急事態宣言も出て、特に人との関係で成り立つ飲食店は緊迫した状況でしたが、オーナーをしているギャラリー喫茶「なよたけ」の営業状態はいかがでしたか?

小高嘉照さん(以後A):いま現在もかなり低空飛行ですが、お客さんは戻ってきていますが、コロナ禍の頃、お客さんは来ても日に一人か二人、全く来ない日もかなりありましたね。でも、助成金(新型コロナウイルス感染症対応休業支援金・給付金)のお陰でなんとか営業を続けられました。しかし、それができたのも私自身の経済的基盤が別にあるからで、お店一本だったらかなり大変だったと思います。

Q:お客さんが来ない時は何をしていましたか?

A:まぁ、店内で雑事をしながら時間を潰したり、助成金の申請書を書いていました。あとあまりに来店者数が少なかったので大家さんと賃料の値下げ交渉をしたかったのですが、これは残念ながら思ったようには行きませんでした。

Q:やはりコロナ禍での営業は大変だったのですね。では、陶芸家としての活動はいかがでしたか?

A:コロナ禍でも途絶えることなく陶芸は続けていました。今も車には先日教えた方々の制作途中の作品が積んであります。なぜかと言うと電気窯が店の近くの施設にあり、そこで素焼きをするためで、本焼きは伊豆の私の工房で行います。ただ、継続はしていますが、私自身は以前のように思ったように作品を作れなくなってきた気がします。これは歳を重ねて体力が落ちて来たのが要因かな。だから、直径40cmの大皿制作のオーダーが今も入っていますが、なかなかうまく行かないので断るしかないかなと考えています。

 

Q:陶芸は感性だけでなく、体力も必要なのですね。今は挑む作品についても考える時のようですが、新たな可能性が生まれたとも捉えらるので次作品に期待しています。ところで、家庭生活はいかがでしたか?

A:日常生活はコロナに気をつけて日々過ごしていましたが、コロナ禍の旅行支援のお陰もあり、認知症を患っている妻と二人でよく箱根や伊豆を旅をしました。それまでは私が妻を誘っても「旅は仲間と行くからいい」といつも断られていたのですが、認知症の影響もあって心細かったのか、約2年間はほぼ毎月二人旅をしていました。

Q:印象的な旅の思い出があればお話しください。

A:一昨年の夏、結婚して50年を過ぎたので、妻にはずっと面倒見てもらっていたので、お礼と記念のために二人で大型客船のクルージングに行く予定だったのですが、妻の具合が悪くなりキャンセル。それで昨夏、一人でそのクルージングに参加しましたが、やはり妻と二人で船旅をしたかったとしみじみ思いました。あと強く記憶に残っているのは旅先でコロナに罹ってしまったことです。

 

Q:えっ! 旅先でコロナになってしまったのですか?

A:はい、2022年秋のことです。メディアでもよく取り上げられる青森県大間で獲れた鮪を食べようと思って、青森空港からレンタカーで大間に向かいました。夕刻、現地に着いたのですが、鮪は翌日にしようと考えて予約してあった宿に入りました。その翌朝、1階で食事を終え、2階の部屋に戻ろうと階段を上ろうとしたら転けたのです。そうしたら、宿の女将さんに「また転けたら危ないから病院へ行った方は良い」とすすめられたので、タクシーがないため救急車に40分乗って総合病院へ。到着すると何も言わずにPCR検査をされ、結果は陽性でした。

Q:では、その総合病院に入院したのですが?

A:いいえ、レンタカーを返さなければいけなかったので一旦青森空港に戻り、その後は青森市内のホテルのシングルルームで3食付き7泊8日隔離状態でした。

 

Q:総合病院のあるむつ市から小高さんが運転して青森空港まで戻ったのですか?

A:そうです。まず大間からむつ市までは宿の方が親切にレンタカーを運んでくれました。幸いなことに熱が出なかったので、そこからは私が保健所の方から許可と「慎重に運転して来て」のアドバイスを受け150km以上の距離を一人で走りました。

Q:その道中はいかがでしたか?

A:やっぱりコロナで体が普通の状態じゃないんでしょうね。まず、有料道路の駐車場でトイレに行こうとして、段差を越えようと思ったら転けて眼鏡を割ってしまいました。その時、地元の方々が心配そうに数人駆け寄り親切にしてくれたのは嬉しかったです。それから青森空港に入る時、車線を一つ間違えて並んでいた赤いコーンを薙ぎ倒して小さな事故を起こしてしまい、保険のために警察を呼び数時間空港に足止めされました。

Q:それは旅先の知らない土地で大変でしたね。ところで神奈川の自宅には連絡したのですか?

A:それが同時期に妻もコロナになってしまったと娘から連絡が入り、そのうえ入院先を決められず、かなり娘は大変な目に遭ったようです。戻ってから色々言われましたが、仕方ないですね。

Q:青森のホテルでの隔離生活はいかがでしたか?

A:全く部屋からは出られないけれど、ほぼほぼ快適な7泊8日でした。

 

Q:隔離生活を終えてからは、どうしたのですか?

A:まず鮪をどうしても食べたかったので、ホテルから出て青森駅前の寿司屋で一番高い寿司を食べたけれど、期待した程の味ではありませんでした。

Q:では、鮪を食べてから帰途についたのですが?

A:それが、せっかく旅に来たと言う気持ちが強くあり、解放後も青森のホテルに2泊して山内丸山遺跡と五所川原の太宰治記念館「斜陽館」を巡りました(笑)。

Q:本当にコロナ禍ならではの旅のエピソードですね。次回はコロナ禍後のお話をお願いします。

続く 

 
 
 
 
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